日本放射線影響学会 / THE JAPANESE RADIATION RESEARCH SOCIETY

DNAマイクロアレイで放射線治療による障害を予知できるか?

論文標題 Toxicity from radiation therapy associated with abnormal transcriptional responses to DNA damage
著者 Rieger KE, Hong WJ, Tusher VG, Tang J, Tibshirani R, Chu G.
雑誌名・巻・
 ページ・発行年
Proc Natl Acad Sci USA, 101, 6635-6640, 2004.
キーワード マイクロアレイ , 放射線治療 , UV , 放射線感受性 , DNA損傷

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今日放射線は多くの癌の治療に用いられているが、稀に重篤な放射線障害を生ずる人がいる。いかにしてこのように放射線感受性の高い人を事前に予知し、障害を回避するかは極めて重要な課題である。これまで、年齢、化学療法併用の有無、先天性奇形、合併症などいくつかのリスク因子が挙げられている。もちろん、AT、ATLD、NBS、RS-SCID(それぞれ、ATM、Mre11、Nbs1、Artemisを欠損する)などの遺伝性疾患の患者は著しく放射線高感受性であるし、ATの場合はヘテロ保因者でも放射線感受性が若干高いという報告もある。しかし、通常このような例はきわめて稀で、放射線障害には別の理由があると考えるのが妥当である。放射線障害を生じた人の細胞;例えば、線維芽細胞やリンパ球を取り出して、生存率、アポトーシス、染色体異常など放射線細胞生物学的解析を行い、原因を探る試みはこれまで長年にわたって行われてきたが、感受性予測の目的での使用に耐えうる指標はない。著者達は、現状をこのように総括した上で、「放射線に過敏な反応を示す人の細胞では、DNA傷害に対する遺伝子発現応答が異常になっているであろう」という仮説を立て、マイクロアレイで解析した、というのがこの論文の主旨である。
 解析した症例は計57例で、うち14例が放射線治療を開始して1ヶ月以内に著しい皮膚、粘膜の反応、激しい下痢などの症状を呈した患者である。対照としては、放射線感受性が普通であった癌患者13例、40歳以下で発症した皮膚癌患者(UVに高感受性と考えて)15例、そしてがんを発症したことがない人(健常人)15例である。これらの人々から採血して、リンパ球を分離、EBVで株化した。これらの細胞に10J/m2のUVを照射して24時間後、あるいは5Gyの電離放射線を照射して4時間後に回収してmRNAを抽出し、Affymetrixのチップで解析したとある。なお、今回はEBVで株化したリンパ球細胞を用いたが、実用に際しては初代培養のリンパ球を使う必要があるだろうと、論文の末尾に書かれている。
 最初、9人の健常人のデータを解析したところ、電離放射線応答性遺伝子1,491個とUV応答性遺伝子2,114個が見つかった(いずれも発現増加するものだけでなく、減少するものも含む)。以後、この3,605遺伝子に絞って、放射線障害予測遺伝子の抽出を試みた。
 まず、著者らが以前開発した"NSC(nearest shrunken centroids)"というアルゴリズムを用いた。このアルゴリズムでは、各遺伝子の発現状態値(ここでは放射線照射時/非照射時の発現量比)を多成分ベクトルに見立てる。そして、各群(ここでは放射線高感受性群と感受性正常群)における各遺伝子の発現状態値の平均値を求め、標準偏差で割る。この値を成分として並べたものが、"shrunken centroid"である。この補正を行うと、一部のサンプルで飛び抜けて発現状態値が大きいが、ばらつきの大きいような遺伝子の成分は必ずしも大きくならない。逆に、個々のサンプルでの発現状態値が小さくても全体として同じ傾向を示す遺伝子に対応する成分は比較的大きな値になり、群を特徴づけることとなる。また、補正後の値が大きい遺伝子のみに絞り、値が小さい遺伝子を解析対象から除く(つまり、ベクトルの次元を落とす)こともある。日本語に訳すると「縮んだ重心」ということになるが、イメージはお分かり頂けるだろう。そして、予測対象サンプルについてそのベクトルと放射線高感受性群および感受性正常群の「重心」の間の距離を求め、その大小によって放射線障害発症の確率を予測するというものである。このアルゴリズムは、以前著者らがある種の癌に特徴的な遺伝子を抽出する試みにおいては非常に有効であったが、今回の放射線障害予測については芳しくなかった。1,831個の遺伝子を用いても、10/57のエラーを生じた。
 著者らは、この理由を放射線に過敏な人の集団は"heterogeneous"であるからだと考えた。つまり、放射線高感受性の原因は複数の要因により、感受性が普通の人達との遺伝子発現状態の違いもさまざまではないかということである。著者らが例示するのは、ATMシグナル伝達経路である。この経路に欠陥があって放射線感受性となっている人の細胞では放射線照射後のp53活性化が起こらず、その標的遺伝子も誘導されないであろう。一方、DNA修復機構に欠陥があって放射線感受性となっている人の細胞ではATMの活性化が持続し、p53標的遺伝子の発現はむしろ増強されるであろう、ということである。
 著者らはこの問題を回避するために、新しいアルゴリズムHAT (heterogeneity-associated transformation)を考案し、NSCと組み合わせて用いた。このアルゴリズムでは、各遺伝子の放射線高感受性群と感受性正常群間の違いを評価するに際して、両群の平均値の違いではなく、「高感受性群の各サンプルの対照群の平均値からのずれの2乗の和」を指標とする(絶対値でも同程度の結果が得られたとある)。つまり、感受性群において対照群より高い人、低い人混ざっていても、とにかく多くの人で正常群の平均値と異なっている遺伝子のスコアは高くなる。この方法で高スコアが得られた上位24遺伝子に絞って感受性予測を試みるとエラーは5/57であった。つまり、NSCにHATを組み合わせて用いることにより、はるかに少数で、より精度の高い予測を可能とする遺伝子を抽出することができたということである。それでもなおエラーはあったわけであるが、内訳を見ると全て偽陰性ー即ち、放射線高感受性でありながら、正常と判定されたーであり、偽陽性は43例中1例もなかった。更に、偽陰性5例のうち2例は抗癌剤との併用、18Gy1回の定位照射などの特殊な治療プロトコールのために障害が出た可能性も否定できないとしている。
 なお、全57症例と上位52遺伝子についてクラスター解析を行ったところ、放射線高感受性群は1つのクラスターを形成しなかった。この結果は、これらの人々が放射線高感受性を示す要因は一つではなく、複数あることを示すものであろう。また、こうして抽出されてきた遺伝子の中には、DNA修復酵素(8-oxo-GTPase、RAD23Bなど)、ストレス応答遺伝子(c-fos、MAPKAP2、HSP27など)、細胞周期関連遺伝子(cyclin B1、cyclin A2、CDC28)、アポトーシス関連遺伝子(TNFなど)の他、ユビキチン-プロテアソーム系やRNAプロセシングに関わる遺伝子が含まれていた。一方、p21などよく知られたDNA損傷応答性遺伝子は含まれていなかったということである(HATを導入する際、p53標的遺伝子群を引き合いに出していたこととはいささか矛盾するが)。また、特定の放射線高感受性遺伝疾患、例えばATやNBSは正しく判定できなかったとある。このような特殊なケースには個別のテストが必要であろう。
 以上が、この論文の結果の概略である。ゲノムプロジェクトが終了し、ヒトの遺伝子の全貌が明らかとなり、その全てと言わざるまでも大部分を搭載したマイクロアレイが登場し、遺伝子発現の変化や個人差はもはや一網打尽かと思いきや、なかなかそう単純な話でもなさそうである。マイクロアレイで多数の遺伝子発現情報を一度に獲得できることは確かであるが、そこからいかにして有用な情報を抽出するかー例えば、解析ソフト、アルゴリズムが問題だということであろう。上で説明したように、NSC、HATいずれもそれほど難解な概念ではない。このようにちょっとした改良を加えるだけで、今まで見つからなかった有用な情報が見つかるかも知れない。既に蓄積されている情報についても、その有用性を最大限に引き出すため、評価方法を変えて再検討してみる価値があるのではないだろうか。