日本放射線影響学会 / THE JAPANESE RADIATION RESEARCH SOCIETY

単一細胞における合成情報の記録と系譜情報のin situ読出し

論文標題 Synthetic recording and in situ readout of lineage information in single cells
著者 Frieda KL, Linton JM, Hormoz S, Choi J, Chow KK, Singer ZS, Budde MW, Elowitz MB, Cai L
雑誌名・巻・
 ページ・発行年
Nature 541: 107-111, 2017
キーワード in situ readout , single cell , lineage information

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単一細胞における細胞系譜情報の人工的な記録(レコーディング)とin situでのその読み出し(リードアウト)

 生体組織内(培養環境内)において各細胞が保有する空間的な位置情報を維持したまま、細胞分裂の系譜や細胞内の遺伝子発現の動的ダイナミクスを再構成することは、生物学における長年の挑戦である。生物学的に興味深いプロセスや現象の多くは、光学的な顕微法では観察することが難しい場合も多い。このため、直接的な顕微観察以外のアプローチが必要とされてきた。本論文の著者らは、細胞内イベントをメモリーする機能を持ち、かつ細胞分裂系譜と細胞内代謝(遺伝子発現)をin situで検出し・再構成することを可能にする新しいシステム、“MEMOIR (memory by engineered mutagenesis with optical in situ readout”システムを開発した。
 このシステムは、3つのコンポーネントからなる。最初のコンポーネントは、ゲノム中に挿入したスクラッチパッド(情報システム分野で情報の一時記憶装置を意味する)とバーコードと著名づけられた2つのDNA配列で、情報の記録と読み出しのメモリーデバイスとして用いる。スクラッチパッドは相互に区別できるよう、異なる約20種類のバーコード配列をその下流に接続している。ひとつの細胞中に、このスクラッチパッドとバーコードのペアは複数種類導入される。2番目のコンポーネントは、分解調節領域(degron)の配列を含むCas9のバリアントの遺伝子であり、3番目は蛍光タンパク質mTurquoiseと共発現するWnt誘発性gRNAの配列である。スクラッチパッドには、gRNAの標的配列が挿入されているため、gRNAとCas9が同時に発現することにより、細胞分裂に伴ってランダムに(確率的に)Cas9による配列の“切削”が行われる。バーコード配列にこの“切削”は起こらないため、スクラッチパッドの有無(切削されたか否か)とバーコードの種類の組み合わせにより2の20乗を超えるバリエーションのパターンが実現されるため、2つの細胞が同じパターンを示す確率は極めて低くなる。親細胞のスクラッチパッドの状態は娘細胞へと遺伝するが、細胞周期の進行に伴って娘細胞には親細胞とは別のスクラッチパッドにも切削が起こる。これによって娘細胞には親細胞由来で既に切削を受けているスクラッチパッドと分裂後に自らの中で切削を受けたスクラッチパッドが存在することになり、娘細胞どうし、あるいは孫細胞どうしを比較すると同一の親細胞から分裂したことを示しつつも、異なる経歴を経た細胞として区別することが可能になる。スクラッチパッドとバーコードの状態は、smFISH(seqFISH)を用いてin situ(培養ディッシュ上あるいは組織内)で読み出すことが可能であり、多細胞で構成されるシステムの中の自らの空間位置情報を失うことなく細胞分裂系譜を追跡することが可能になる。
 この新しいMEMOIRシステムの動作を検証するため、著者らはマウスES細胞を用いて細胞分裂系譜の再構成の検証実験を行った。Cas9及びgRNA誘導させた後、48時間後の細胞のスクラッチパッド・バーコードのsmFISHによる検出と解析を行ったところ、予想された通りスクラッチパッドの“切削”は細胞分裂に従って漸次的に、かつ確率的に誘発されることが明らかになった。さらに、スクラッチパッドとバーコードの各組合せについて発現に関する時間経緯を解析し細胞分裂系譜の再構成を行ったところ、比較のために同時に行っていたタイムラプス観察による実際の細胞分裂の追跡した時のイメージデータと一致したことから、メモリーの読み込み‐書き出しが正確に機能していることが確かめられた。
 MEMOIRシステムでは、Cas9の誘導にWnt以外の遺伝子も利用することが可能である。著者らは、Wntを用いたシステムと幹細胞性の維持等に関与するEsrrbを利用したシステムを同時にマウスES細胞に導入し、細胞分裂系譜とEsreb遺伝子からmRNAへの転写の2つの状態、すなわち遺伝子発現のOn かOffかの切替え(スイッチング)の動的速度の推定を試みた。Esrrbの発現状態がONの状態にあるときにはスクラッチパッドの削り込みが起こるが、もしOFFの状態にスイッチされた場合にはスクラッチパッドの削り込みが止まり、OFFへスイッチングする。これ以降に細胞分裂した娘細胞には、同一のEsreb遺伝子のMEROIRのパターンが記録される。細胞分裂系譜はWntを利用したMEMOIRによって再構成することが可能なため、どの時点まで遺伝子発現がONか、あるいはその後どの時点でOFFにスイッチングされたのかを推定することができる仕組みである。これを用いて、著者たちは、娘細胞及び従妹細胞でEsrrbが非常に似た発現状態を示すことを明らかにした。
 過去の研究では、細胞分裂系譜を再構成するには前もって目的の細胞を決定しタイムラプスイメージングを行うことが必要であった。確率的に稀なイベントを捉えようとすると、先に決定したイメージングを行う細胞に目的のイベントが起こるかは確率事象となるため多くの細胞のイメージングを同時に行う必要があった。しかし今回開発されたMEMOIRシステムは、後から細胞分裂系譜を再構成することを可能にする。これにより、目的のイベントが起きた細胞の挙動を後から解析することが可能になり、培養中のイメージングを行う必要がなくなった。著者らは、このMEMOIRシステムによりそれぞれの細胞がメモリー媒体を有し遺伝子発現ダイナミクスを記録するため、ある時間経過の後に人間がin situでメモリーに記憶された情報読み出しを行うことで、例えば発生中の幹細胞や組織の本来の環境での発生(発達)の軌跡を推定することが可能になると予想している。さらに、多くの遺伝子に対してMEMOIRシステムを利用することで、多様な遺伝子発現のダイナミクスをin situで解析することが可能になると期待される。