日本放射線影響学会 / THE JAPANESE RADIATION RESEARCH SOCIETY

福島第一原発事故より8年後の元富岡町住人たちの精神的健康状態と帰還の意思について

論文標題 Psychological health status among former residents of Tomioka, Fukushima Prefecture and their intention to return 8 years after the disaster at Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant
著者 Orita M, Mori K, Taira Y, Yamada Y, Maeda M, Takamura N
雑誌名・巻・
 ページ・発行年
J Neural Transm., 2020
キーワード Fukushima , Nuclear Power Plant accident , Mental health , Risk perception

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福島第一原発事故より8年後の元富岡町住人たちの精神的健康状態と帰還の意思について

【背景】
 富岡町では2017年4月1日に町内の85%の地域で避難命令が解除された。だが、住民の多くは帰還にあまり積極的ではなく、一部の住民が帰還する一方で帰還はしないと決める住民、帰還すべきか否かの決断を下せない住民もいる。各々においてどのようなサポートが必要なのかを知るため、著者らは帰還の意思と精神的健康状態の関連を調べた。

【対象者】
 今回の調査では2011年3月1日に富岡町に住民票があった住民のうち、2018年の健康診断を受けた者1844人に対し質問票を配布することで行われた。うち966名より返答があり、情報に不備のあるものを除き最終的に766名での解析を行った。

【質問票】
 質問票は福島県が行う県民健康調査の枠組みにおいて配布された。精神的健康状態並びに4年以内の帰還の意思を問うものである。すでに帰還した住民をグループ1、まだ帰還するかどうか決めていない住民をグループ2、帰還しないと決めた住民をグループ3とし、性別、年齢、18歳未満の子供の有無、定期健康診断を受けているか、といったデモグラフィック変数を収集するとともに、富岡町産の食料や水道水を飲食することに不安があるかどうか、がんや次世代への遺伝影響など放射線による健康リスクを感じるかどうかを尋ねた。
 精神的健康状態の測定には、心的外傷ストレスの診断に広く使われているPCL(PTSD Check List)およびうつ病のスクリーニングにおいて臨床で一般的に利用されているPHQ-9を用いた。PCLでは特に特定の出来事にトラウマがあると考えられるケースで用いられるバージョンPCL-Sを使用し、先行研究に従って気分/不安障害を示すカットオフ値を12以上とした。PHQ-9ではうつ状態のカットオフ値として10以上を採用した。
 更に、喫煙歴の有無、週ごとのアルコール消費量、BMI、血圧、生化学的指標として、肝機能に関連するAST、ATL、γ-GT、中性脂肪やコレステロールといったTG、HDL-C、LDL-C、血糖値であるHBA1c、造血関連の指数である Ht、Hbの結果を収集した。

【統計的手法】
 どの因子が帰還の意思と関連があるかはMann-Wthitney U test もしくはカイ2乗法にて決定した。また、グループ間でどの因子に差があるかは二項ロジスティック回帰により解析を行った。使用したソフトウェアはSPSS Statistics 23である。

【結果】
 全体の13%がすでに帰還したグループ1、まだ帰還するかどうか決めていない28%がグループ2、帰還しないと決めた59%がグループ3であり、3割近い元住民が帰還するか否かを決めかねていることがわかった。グループ1では男性および子供がいないケースが有意に多かった。また、富岡産の食料や水道水に対する不安もグループ1ではそれ以外よりも顕著に低かった。将来的ながんリスクや次世代影響についても同様の傾向であった。PCL-SおよびPHQ-9のスコアが高い人はグループ2に多かった。生化学的指標については女性の血糖値HBA1cをのぞいて3グループの間に差は見られなかった。

【考察】
 本研究結果から、帰還の意思は子供がいるかいないか、水道水の利用に不安はないか、将来的な健康被害への不安はないかといった項目と関連があることがわかった。一方で精神的健康面と関連が深いのは生活基盤の立て直しが行われているかどうか、と言える。チェルノブイリ事故に関する先行研究から汚染地域においてPTSDや気分/不安障害は他地域より頻度が高いことがわかっていた。ただ、福島県を対象にうつ病や不安障害をスクリーニングするためによく用いられるK6を利用した先行研究においては、帰還者が避難者よりも精神状態が良いこともわかっており、住み慣れた家での生活を取り戻すことで精神状態が良くなるのだと解釈されていた。本研究結果はこの先行研究の結果と一致するとともに、帰還しないと決めた住民の精神状態も安定することを新たに見出した。つまり、帰還するにせよしないにせよ、生活基盤立て直しの見通しが立つことで精神状態は安定することがわかる。つまり、未だ帰還するか否かを決められない住民には精神的ストレスがかかっており、ケアが必要であることを示唆している。グループ2の避難者らが生活基盤再建の計画を立てられないのは、故郷が荒廃し地域コミュニティが破壊されてしまったためであり、帰還に際して感じる放射線による健康被害への懸念と深く結びついている。リスクコミュニケーション活動に沿った精神面でのケアは富岡町への帰還を迷う元住民らへも役立つと思われる。
 本研究は避難命令解除が未だ富岡町全域ではないこと、健康調査を受診している者のみが対象であることからバイアスが含まれている可能性がある。