がんにおける低酸素誘導炎症性細胞死のメカニズム
論文標題 | A mechanism for hypoxia-induced inflammatory cell death in cancer |
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著者 | Bhardwaj A, Panepinto MC, Ueberheide B, Neel BG |
雑誌名・巻・ ページ・発行年 |
Nature, 637: 470-477, 2025 |
キーワード | hypoxia , pyroptosis , cancer , moyamoya disease |
【背景・目的】
腫瘍の内部には、低酸素または無酸素領域が存在することが知られており、腫瘍細胞はこれらの厳しい環境に適応するためにさまざまなシグナル伝達経路を活性化する。通常酸素状態では、低酸素誘導因子(hypoxia-inducible factor: HIF-1αおよびHIF-2α)はプロリン水酸化酵素(prolyl hydroxylase domain-containing enzymes: PHD1-3)によって水酸化され、その後、von Hippel-Lindau(pVHL)ユビキチンリガーゼ複合体によりユビキチン化されてプロテアソームによる分解を受ける。しかしながら、酸素濃度が3%未満になるとPHD1-3の酵素活性が低下し、HIF-1αおよびHIF-2αが安定化そして核内移行し、aryl hydrocarbon receptor nuclear translocator(ARNTまたはHIF-1β)とのヘテロダイマー転写因子複合体を介して低酸素応答遺伝子の発現が促進され、多くの抗がん治療に抵抗し、再発の種となると考えられている。
さらに、酸素濃度が1%以下の重度の低酸素状態(severe hypoxia)においては、AMP依存性プロテインキナーゼ(AMPK)が活性化されるほか、小胞体ストレス(ERストレス)やオートファジーが誘導されることで、細胞の生存やアポトーシス(細胞死)が制御される。このような低酸素環境における応答の一つとして、炎症や自然免疫を制御する転写因子であるnuclear factor-kappa B(NF-κB)が関与していることが知られている。しかしながら、低酸素条件下においてNF-κBがどのように活性化されるのか、その詳細な機序については十分に解明されているとは言えない。
本研究では、HER2陽性乳がん細胞において、低酸素環境に適応するためのシグナル伝達経路に焦点を当て、特にタンパク質チロシンホスファターゼprotein tyrosine phosphatase 1B(PTP1B、PTPN1)およびユビキチンリガーゼring finger protein 213(RNF213)の役割を明らかにすることを目的とした。PTP1Bは小胞体(ER)に局在し、受容体チロシンキナーゼやサイトカイン受容体のシグナル伝達を制御することが知られている。主にインスリンやレプチンのシグナル伝達を阻害することで代謝調節に関与すると考えられているが、乳がん細胞における役割については未解明な部分が多い。一方、RNF213はE3ユビキチンリガーゼ活性を持ち、脂質滴に局在し、細胞死や炎症応答に関与すると考えられている。特に、RNF213はもやもや病(Moyamoya disease、MMD)との関連が示唆されており、がん細胞のストレス応答にも関与する可能性がある。本研究では、PTP1BおよびRNF213が重度の低酸素環境下でどのように相互作用し、細胞生存や細胞死に影響を及ぼすかを解析した。
【結果】
まず、HER2陽性乳がん細胞において、PTP1Bの欠損または阻害が低酸素誘導細胞死の感受性(低酸素感受性)を高めることを確認した。PTP1B阻害剤(クララミン)を用いた実験では、通常酸素環境(normoxia)では細胞生存に大きな影響を与えないものの、低酸素環境(1% O₂)において細胞死を著しく増加させることが示された。この現象はHER2陽性乳がん細胞(BT-474およびSKBR3)だけでなく、エストロゲン受容体(ER)陽性乳がん細胞(MCF-7)やトリプルネガティブ乳がん細胞(MDA-MB-231)においても観察され、PTP1Bが低酸素環境における一般的な生存調節因子である可能性が示唆された。
RNF213はHER2陽性乳がん細胞においてチロシンリン酸化されており、PTP1Bと強く相互作用することが免疫沈降(Co-immunoprecipitation、CoIP)実験により明らかになった。特に、RNF213のTyr-1275部位がPTP1Bによる脱リン酸化の標的となることが示唆された。PTP1B欠損細胞ではRNF213のリン酸化が増加し、その結果、RNF213のユビキチン化が亢進した。また、RNF213のリン酸化がオリゴマー形成に関与することも示され、RNF213の自己相互作用が細胞死を調節する可能性が示唆された。さらに、RNF213のリン酸化を制御するキナーゼを特定するために、さまざまなチロシンキナーゼ阻害剤を用いた解析を行った。その結果、ABLキナーゼ(ABL1/2)がRNF213のTyr-1275をリン酸化することが示された。ABL阻害剤(ダサチニブ)を処理すると、PTP1B欠損細胞の低酸素感受性が消失し、RNF213のリン酸化レベルが低下した。また、ABL1/2のsiRNAを用いたノックダウン実験でも同様の結果が得られたことから、ABL1/2がRNF213のリン酸化に必須であることが明らかになった。
RNF213の相互作用因子を同定するために、TurboIDを用いた質量分析(proteomics)を行い、RNF213がNF-κB経路の調節因子であるCYLDおよびSPATA2と相互作用することを発見した。CYLDは主要なK63-脱ユビキチン化酵素であり、NF-κBの活性を抑制することで炎症を制御している。RNF213はCYLDおよびSPATA2と相互作用し、それらのユビキチン化を触媒することで、低酸素状態における乳がん細胞の感受性を抑制することが明らかになった。免疫ブロッティングにより、CYLD、SPATA2、PTP1BがRNF213依存的にユビキチン化されることが確認され、特にRNF213のRZドメインがK63ユビキチン鎖を形成し、RINGドメインはRZ活性を抑制することが示唆された。さらに、RING-dead RNF213変異体ではCYLDおよびSPATA2のユビキチン化が増加し、低酸素感受性が高まることが分かった。また、RNF213のATPアーゼ活性がRZドメインの機能に必要であることが示され、ATPアーゼ/RZ複合変異体はCYLDおよびSPATA2の分解を促進できなかった。RNF213欠失細胞(RNF213-KO)では、NF-κBの活性化が抑制されていたが、RING-dead RNF213を発現させるとNF-κB活性が上昇し、炎症関連遺伝子の発現が増加した。これは、CYLDおよびSPATA2の分解によるものであると考えられる。さらに、PTP1Bの欠損はRNF213の活性化を促し、CYLDおよびSPATA2の分解を介して細胞死を引き起こした。低酸素環境下では、RING-dead RNF213が細胞死をさらに促進し、PTPN1-KO細胞ではほぼ完全に生存不能となった。RBCK1やHOIP(LUBAC構成因子)のノックダウン実験から、WT-RNF213によるCYLD/SPATA2の分解はLUBACに依存するが、RINGドメイン欠損RNF213ではLUBACを介さずに分解が進むことが示唆された。RNF213変異型はもやもや病の素因となるが、これらの変異がユビキチン化経路の制御に影響を与え、細胞死や炎症応答に関与する可能性が示唆された。
また、RNF213のRZドメインがNF-κB活性化に関与し、低酸素条件下でIL-1βやNLRP3などの炎症性遺伝子発現を誘導することが明らかになった。PTP1Bを欠損させた細胞では、NF-κB活性の増加とともにピロトーシス(炎症性細胞死)が引き起こされ、カスパーゼ1/4阻害剤(VX765)やNLRP3阻害剤(MCC950)、GSDMDノックアウトにより細胞死が抑制された。低酸素環境下での小胞体ストレスもピロトーシスに寄与することが判明した。小胞体ストレスシグナル(IRE1α、PERK)を阻害すると、低酸素感受性が低下し、生存率が向上した。さらに、小胞体ストレス誘導剤(ツニカマイシン、タプシガルジン)を用いると、CYLD/SPATA2を欠損した細胞で細胞死が促進された。これにより、小胞体ストレスがピロトーシスの「第2シグナル」として機能する可能性が示唆された。
最後に、PTPN1-KOやCYLD-KO細胞をヌードマウスに移植したところ、腫瘍形成が抑制され、NLRP3-KOによってこの抑制が解除された。腫瘍組織では、低酸素状態や小胞体ストレスのマーカーが増加し、ピロトーシスによる細胞死が進行していた。
【考察とまとめ】
本研究により、PTP1BとABL1/2がHER2陽性乳がん細胞の低酸素応答において、PTP1BとABL1/2がRNF213のオリゴマー化やRZドメインの活性化を制御し、CYLD/SPATA2のK63ユビキチン化と分解を誘導することでNF-κBを活性化し、インフラマソーム形成とGSDMD依存性のピロトーシスを引き起こす経路が明らかとなった。
また、HPVのE6タンパク質もCYLDの分解を介してNF-κBを活性化するが、この過程では通常のE6APではなくRNF213が関与している可能性がある。低酸素領域のがん細胞は治療抵抗性が高いため、PTP1BやCYLD/SPATA2の阻害・分解が様々な抗がん薬の効果を高める可能性があり、ピロトーシスを誘導することで免疫応答を強化する可能性もある。
さらに、この研究は低酸素応答経路、RNF213の制御、もやもや病の病態生理に関する新たな知見も提供している。特に、RNF213の多量体化がABL1/2とPTP1Bによるリン酸化で制御されることや、RZドメインが脂質だけでなくタンパク質のK63ユビキチン化にも関与することが明らかになった。加えて、RNF213はLUBACと連携し細菌のエンドリソソーム標的化に関与するが、もやもや病の関連遺伝子変異はこの過程を変化させる可能性がある。さらに、RNF213は脂肪滴に局在し脂肪代謝の制御に関与することから、これらの結果は、PTP1B-RNF213経路が脂肪毒性や、もやもや病以外の動脈硬化関連疾患にも関与する可能性も示唆している。
本研究の成果は、低酸素環境におけるがん細胞の生存や細胞死を制御する新たなメカニズムを示し、PTP1BおよびRNF213を標的とした治療戦略の可能性を示唆するものである。今後の研究では、RNF213のユビキチン化が細胞死や炎症にどのように関与するかをさらに詳細に解析し、新たながん治療の開発に貢献することが期待される。