LC-MS ベースの毛髪メタボロミクスによる放射線被曝の非侵襲的バイオマーカーの発見
論文標題 | Discovery of Noninvasive Biomarkers for Radiation Exposure via LC-MS-Based Hair Metabolomics |
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著者 | Zhang H, Kandalai S, Peng H, Xu R, Geiman M, Gao S, Zhang S, Yadav P, Puri S, Yadav M, Jacob NK, Zheng Q, Zhu J |
雑誌名・巻・ ページ・発行年 |
J Proteome Res, 24(3): 1285−1295, 2025 |
キーワード | 放射線 , 被ばく線量推定 , メタボローム解析(メタボロミクス) , 毛髪 |
【背景・目的】
放射線被ばくは、原子力災害、核兵器の使用、医療行為、職業上の被ばくなど、さまざまな要因によって生じ、急性放射線症候群や長期的な健康被害を引き起こす可能性がある。放射線による細胞損傷はDNA修復異常を伴い、がんの発生リスクを高める要因でもある。
従来、血液や尿を用いたメタボローム解析(メタボロミクス)により被ばくの影響を評価する試みがなされてきたが、これらの試料は採血を伴うなど侵襲性が高く、代謝物の持続時間が数時間から数日と比較的短いため長期的な被ばく履歴の評価が困難であった。特に、放射線事故発生時には迅速かつ簡便な被ばく評価手法が求められる。
本研究で著者らは、非侵襲的な毛髪に着目し、LC-MS(液体クロマトグラフィー質量分析法)を用いて、放射線被ばくの代謝物マーカーを同定し、被ばくの有無、被ばく線量の推定や被ばく後の時間経過の評価を可能にするか検討した。
【方法】
10~12週齢の雌雄C57BL/6マウスを用いた。137Cs γ線源を用いて全身照射を実施し、照射線量は0 Gy、1 Gy、2 Gy、4 Gy(0.8 Gy/min)とした。照射後、1日、7日、14日、90日、120日、180日後の6つのタイムポイントで毛髪サンプルを採取した。マウス背部の毛を滅菌環境下でピンセットを用いて毛髪の採取は行われた。
毛髪(毛幹と毛根)からの代謝物抽出は、エタノール/クロロホルム/水処理による低分子代謝物の抽出(脂質、糖類、アミノ酸など)と、4M NaOH加水分解により毛髪に含まれるタンパク質を分解しケラチン由来アミノ酸を抽出する2種類の方法で行われた。抽出後、遠心・濃縮を経て、LC-MS測定用に調製した。
データ解析では、非標的メタボロミクスを用いて286種類の代謝物を同定し、標的解析では、20種類のアミノ酸を標準物質と比較することで定量測定が実施された。さらにROC解析とMOSSモデルと呼ばれる機械学習による予測精度評価と部分最小二乗判別分析(PLS-DA)による代謝プロファイルのパターン解析が実施された。
【主な結果】
放射線被ばく後の時間経過に伴い、毛髪中の代謝物プロファイルが顕著に変化することが明らかになった。特に、γ線 4 Gy照射後のマウスでは、低線量(1 Gyまたは2 Gy)または非照射(0 Gy)のマウスと比較して、馬尿酸および5-メトキシ-3-インドール酢酸(5-MIAA)が有意に増加することが示された。
また、PLS-DA解析を用いたデータの可視化により、被ばく1日目から14日目、90日目、120日目から180日目の3つの異なる代謝プロファイルのクラスタリングが確認された。これにより、毛髪中の代謝物が被ばく後の時間経過に応じて大きく変動することが明らかになった。
次に、時間依存的に増加する代謝物として、2-アミノ-4-オクタデセン-1,3-ジオール、オレオイルエタノールアミド(OEA)、パルミトイルカルニチン、25-OHビタミンD3、ベルノール酸、アゼライン酸の6種類の脂質関連代謝物が特定された。これらの代謝物は酸化ストレスと関連しており、放射線被ばく後の生理的変化を反映するバイオマーカーとしての可能性が示唆された。
さらに、被ばく線量の識別について検討したところ、被ばく90日目の毛髪サンプルにおいて、線量依存的なメタボローム変化が最も明確に確認された。特に、馬尿酸および5-メトキシ-3-インドール酢酸(5-MIAA)が線量依存的に増加し、これらの化合物が放射線被ばくの評価に有用なバイオマーカーとなる可能性が示された。
また、性差に関する解析では、性差による代謝物の違いも確認され、メスのマウスの毛髪サンプルにおいて、トリメチルアミン-N-オキシド(TMAO)が一貫して高濃度で検出された。TMAOは腸内細菌由来の代謝物であり、酸化ストレスや炎症に関与するとされている。このことから、放射線被ばくの影響を評価する際には、性別による代謝の違いを考慮することで、より精度の高い評価が可能になる可能性が示唆された。
最後に、機械学習(MOSSモデル)を用いた予測解析を行い、放射線被ばくの時間、線量、性別を高精度で識別できることを確認した。特に、被ばくから90日以上経過しているかどうかを判別するモデルにおいては、機械学習モデルの評価指標であるAUCが0.986と非常に精度が高く、ほぼ確実に識別できることが確認された。一方で、4 Gyの高線量被ばくと0〜2 Gyの低線量被ばくを区別するモデルにおいては、AUCが0.713であり、その精度は中程度であった。また、このMOSSモデルが自動的に選択した重要なバイオマーカーは、馬尿酸、5-MIAA、OEA、TMAOなど、研究者が手動で選んだものと一致していた。つまり、このモデルは放射線被ばくの影響を正確に予測する信頼性の高い手法として機能する可能性があることが示された。
【まとめ】
本研究では、毛髪メタボロミクスを活用した放射線被ばく評価法を開発し、以下の成果が得られた。
・ LC-MSにより毛髪を用いた非侵襲的な被ばく評価が可能であった。
・ 時間経過および線量依存的な代謝物変化が特定された
・ 性差に関係する代謝物の存在が確認された。
以上より、放射線事故や医療被ばく後の長期的な影響を評価する新たなツールとして、毛髪メタボロミクスは有望である。今後、ヒト毛髪を用いた検証や、酸化ストレス・放射線被ばくのメカニズム解析が求められる。