日本放射線影響学会 / THE JAPANESE RADIATION RESEARCH SOCIETY

大腸癌の遺伝子メカニズムと放射線被ばくの影響に関する数理モデル化

論文標題 Mathematical modeling the gene mechanism of colorectal cancer and the effect of radiation exposure
著者 Li L, Hu Y, Li X, Tian T
雑誌名・巻・
 ページ・発行年
Math. Biosci. Eng, 21(1): 1186-1202, 2024
キーワード 大腸がん , 数理モデル , 放射線被ばく , ドライバー変異

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【目的・背景】
大腸がんは世界的に発生率・死亡率ともに高く、深刻な健康問題となっている。近年では生活習慣の変化により若年層でも発症率が上昇しており、早期診断と予防の重要性がますます高まっている。大腸がんの発症は単一の遺伝子変異によるものではなく、複数の「ドライバー変異」が段階的に蓄積することで進行すると考えられている。ドライバー変異は細胞に増殖優位性を与え、腫瘍形成を直接的に促進するため、その数や作用を明らかにすることは発がんメカニズムの理解に不可欠である。
放射線被ばくはDNA損傷を誘発し、腫瘍抑制遺伝子やがん遺伝子の異常を通じて発がんに寄与するとされる。特に、放射線は遺伝子変異を誘発させることでがん発症に必要な残りの変異の数を減少させたり、変異細胞が増殖優位性を持って増殖する「クローン拡大」を促進したりする可能性が指摘されている。
本研究の目的は、大腸がん発症に必要なドライバー変異数を推定し、放射線被ばくが大腸がん発症に与える影響を明らかにすることである。

【方法】
米国のSEERデータベース(一般集団)と、日本の原爆被爆者を対象としたLife Span Study(LSS)の疫学データを利用し、数理モデルは発がんまでの変異数を固定せず、変異細胞のクローン拡大を考慮するモデル(多段階クローン拡大モデル)を構築して解析を行った。
このモデルでは、大腸がん罹患率は3種のパラメータ(最初の突然変異細胞数、純増殖率、変異細胞の変異率)によって決まると仮定している。これらパラメータを最尤推定法によって求め、パラメータに既知の情報との整合性があるか検証した。また、AIC(赤池情報量規準)を用いてモデル間のデータへの適合度の違いを求め、発がんに必要な残りのドライバー変異数の推定を行なった。

【結果】
数理モデルにおいて変異数9以上と仮定したモデルは変異数8以下のモデルに対して有意に不適であったため、変異数2~8までと仮定したモデルが有用な候補として挙げられ、これらモデルで得られるパラメータの整合性を検証することで発がんに必要な残りのドライバー変異数の推定を行なった。
まず、非被ばく集団を対象としたSEERデータでは、モデルから得られたパラメータでの検証により、大腸がん発症に必要なドライバー変異数は2〜5個と推定され、その中でもAICの結果から3変異モデルが最も良好に適合していた。すなわち、一般集団における大腸がん発症は、平均して3つ程度の主要な変異を経て成立すると考えられる。
一方、LSSコホートにおいて放射線被ばくの線量群を分けて同様の検証をしたところ、発がんに必要な残りの変異数は被ばく線量に依存して変化していた。低線量群(<0.1Gy)では2〜4個、高線量群(≥0.1Gy)では2〜3個と推定され、非被ばく群(SEERデータ)に比べて発がんに必要な残りの変異数が少ないことが明らかになった。さらに、解析では変異細胞の純増殖率(増殖率-死滅率)に非被ばく群と被ばく群(低線量および高線量群)間に顕著な差が確認された。被ばく群では非被ばく群よりも純増殖率が高く、これは放射線が新たな変異を誘発するだけでなく、変異細胞のクローン拡大を促進していることを示している。ただし、純増殖率は線量レベルに対応して増加するわけではなかった。

【考察・まとめ】
本研究により、大腸がんの発症には複数のドライバー変異が必要であるが、放射線被ばくにより発がんに必要な残りの変異数を減少させ、さらにクローン拡大を促進することで、腫瘍形成をより短期間で進行させる可能性が示唆された。
これらの知見は、腫瘍発生のメカニズムを理解する上で重要であり、さらに臨床的にも意義がある。放射線被ばく歴のある集団では少ない変異でがんが進行する可能性があるため、一般集団よりも早期のスクリーニングやリスク管理が求められる。また、数理モデルを用いた解析により、発がんリスクを定量的に評価し、予防や治療戦略に応用できる可能性が示された。
ただし、本研究では、大腸がんの発生に必要なドライバー変異の数を推定したが、「どの遺伝子が具体的に変異しているか」までは知見が足りていないため、今後は大腸がんにおける放射線が作用する分子メカニズムについて考慮した研究、解析が必要であるとしている。
結論として、本研究は、放射線被ばくが大腸がん発症に必要な残りのドライバー変異数を減少させるとともに、クローン拡大を通じて腫瘍形成を促進する可能性を示唆した。この成果は、放射線被ばく後の大腸がんの予防・診断・治療戦略において被ばくを考慮する重要性を示すものであり、数理モデルの臨床応用に向けた新たな展望を開くものである。