日本放射線影響学会 / THE JAPANESE RADIATION RESEARCH SOCIETY

選択的ATRキナーゼ阻害剤の開発とがん治療への応用の可能性

論文標題 Selective killing of ATM- or p53-deficient cancer cells through inhibition of ATR.
著者 Reaper PM, Griffiths MR, Long JM, Charrier JD, MacCormick S, Charlton PA,Golec JMC, Pollard JR.
雑誌名・巻・
 ページ・発行年
Nat Chem Biol. 7, 428-430, 2011
キーワード ATR , 阻害剤 , VE-821 , シスプラチン , 抗がん

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PIKKファミリーのATM、DNA-PK、ATRの三つのキナーゼはDNA損傷応答に必須であり、放射線生物学研究上たいへん重要な分子群である。DNA-PKはKuヘテロダイマーと結合し二重鎖切断修復経路のnon-homologous end joining に必須の酵素であり、ATMはDNA二重鎖切断を、ATRは複製フォーク停止時の1本鎖DNAを検知して、細胞にシグナルを伝えるチェックポイントに働く因子と理解されている。
 ATMとDNA-PKについては、特異的阻害剤が開発され用いられてきたが、ATRについてはいままで未開発であった。ATRのノックアウトは致死であり、古い論文では、ATRキナーゼの変異体を発現させ、ドミナントネガティブ効果を狙ったものもある。最近では、siRNAを用いたり、あるいはATR発現の低下したセッケル症候群細胞を用いることも可能ではあるが、発現がどうしても一部残るし、オフターゲット効果の問題がある。カフェインを高濃度で使用すればATRは抑制されるものと考えられるが、非特異的な効果は否定できず、実際ATRの機能を細胞レベルで検討するのはなかなか困難なことであると言える。
 今回紹介する英国オックスフォード近郊のVertexという会社からの論文では、ATRの特異的阻害剤VE-821の開発とその生物学的効果がコンパクトにまとめられている。スクリーニングの結果得られたVE-821はビトロのアッセイ系でATRへの特異性が高いATP拮抗型の阻害剤であった。インビボの効果として、ハイドロキシウレアによる複製フォーク停止状態におけるH2AXリン酸化を測定したところ、ATMやDNA-PKの阻害剤では阻害できなかったが、この薬剤は、濃度依存的に低下させることができた。逆に、ATM欠損細胞(HT144)やDNA-PK欠損細胞(MO59J)における放射線効果をミミックする薬剤であるネオカルチノスタチンによるH2AXリン酸化を阻害することはなかった。それぞれの細胞におけるリン酸化がDNA-PKないしATM阻害剤によって阻害できることもあわせて示されている。また、VE-821はシスプラチンなどの複製阻害を起こす薬物処理におけるChk1とH2AXのリン酸化を阻害するが、放射線によるChk2とH2AXリン酸化は抑制できなかった。これらのデータによって、この薬剤のATR特異性が確認された。
 面白いことに、V2-821単独による処理でがん細胞株において細胞死が誘導されるが、正常細胞においては細胞周期進行を可逆的に阻害するのみであることがわかった。さらにこの薬剤による処理は様々なDNA損傷薬剤と相乗効果を示し、特にシスプラチンやカルボプラチンなどのクロスリンク薬剤においてその効果が高く、予想通り微小管阻害剤であるタキソテア(Docetaxel)においては、相乗効果は認められなかった。
 シスプラチンはもっとも広く使用されている抗がん剤であり、クロスリンク修復におけるATRの重要性もあって、彼らはシスプラチンとVE-821の同時使用効果についてさらに検討した。14種のがん由来細胞株、6種の正常細胞株において、相乗効果を検討したところ、ほとんどのがん細胞において強い相乗効果をみとめたが、正常細胞においてはあまり認められなかった。16種のがん細胞株のうち、p53が野生型のものが5株あり、そのうち4株がもっとも弱い相乗効果を示していた。残りのp53野生型株はHCT116であったが、この細胞ではATMやMRN複合体発現が低下していることが知られており、実質的にp53変異型と同等と思われた。
 したがって、どうやら、ATM-p53経路が欠損する細胞株においては、シスプラチン処理後の細胞生存がATRにより強く依存すると考えられる。実際ATM変異細胞やATM阻害剤、p53ノックダウンを用いて、このことが確認された。ATM変異細胞ではATR阻害剤とシスプラチン処理によって、S期チェックポイントが異常となり、H2AXのリン酸化とDNA再複製(re-replication)を起こした細胞が蓄積した。一方、正常細胞においては、シスプラチン処理によるChk1リン酸化がVE-821の共存によって消失するが、少し遅れてATMが活性化してp53が増加し、Chk2とH2AXがリン酸化され、その結果として細胞死が回避されるものと思われる。
 著者らは、これらの結果は、ATM-p53経路が欠損した多くのがん細胞において、ATR阻害が放射線や多くの確立された化学療法剤の効果増強のあらたな方法となる可能性を支持すると述べている。ATR阻害ががん細胞特異的な効果を示すメカニズムがそれほどはっきり説明できていないような感じも残るが、PARP抑制剤に続いて、DNA損傷応答の研究に基づいて新たながん治療法の萌芽を報告したものとして価値ある論文と考え、紹介した。
<追記>
 上記紹介記事をアップロードした後、Nat Struc Mol Biol誌にスペインのOscar Fernandez-CapetilloのグループによりATR特異的阻害剤の報告が出た(参考論文1)。彼らは、以前確立したTopBP1のエストロジェン受容体と融合させたATR活性化ドメインによる細胞内ATR活性化誘導法(参考論文2)を用いて、細胞ベースにPI3Kの抑制活性が知られていた623化合物をスクリーニングし、ETP-46464化合物と、NVP-BEZ235化合物の二つがATR阻害活性をもつことを同定した。前者は特異的にATRを阻害するが、後者はATR、ATM、DNA-PKを含めてより広範にPI3Kファミリーを阻害することをわかった。アブストラクトでも強調されているが、後者はすでに臨床試験中の抗がん剤で、mTORとPI3Kの両者を阻害すると思われていた。しかし、その抗がん効果は実はATR阻害によるものである可能性がある。この論文では、ATR阻害によってハイドロキシウレアによる複製フォーク停止時のフォーク安定性が低下すること、ATR阻害剤が特にp53欠損細胞にトキシックであること、オンコジーン活性化に伴う複製ストレスを増大させることなどが示されている。彼らの作成したATRの発現低下したマウスがp53ノックアウトと掛け合わせても発がんしなかったという結果が思い起こされる(参考論文3)。
 なお、新潟薬科大学の小西徹也教授らにより、漢方薬成分から分離されたSchisandrin BのATR阻害効果が2009年NAR誌に報告されている(参考論文4)。

<参考論文>
1. A cell-based screen identifies ATR inhibitors with synthetic lethal properties for cancer-associated mutations. Toledo LI, Murga M, Zur R, Soria R, Rodriguez A, Martinez S, Oyarzabal J, Pastor J, Bischoff JR, Fernandez-Capetillo O. Nat Struct Mol Biol. 2011 Jun;18(6):721-7.
2. A mouse model of ATR-Seckel shows embryonic replicative stress and accelerated aging. Murga M, Bunting S, Montana MF, Soria R, Mulero F, Canamero M, Lee Y, McKinnon PJ, Nussenzweig A, Fernandez-Capetillo O. Nat Genet. 2009 Aug;41(8):891-8. Epub 2009 Jul 20.
3. ATR signaling can drive cells into senescence in the absence of DNA breaks. Toledo LI, Murga M, Gutierrez-Martinez P, Soria R, Fernandez-Capetillo O. Genes Dev. 2008 Feb 1;22(3):297-302.
4. Inhibition of ATR protein kinase activity by schisandrin B in DNA damage response. Nishida H, Tatewaki N, Nakajima Y, Magara T, Ko KM, Hamamori Y, Konishi T. Nucleic Acids Res. 2009 Sep;37(17):5678-89. Epub 2009 Jul 22.