日本放射線影響学会 / THE JAPANESE RADIATION RESEARCH SOCIETY

成体期ではなく幼若期における乳腺の放射線被ばくは幹細胞の自己複製とエストロジェン受容体陰性腫瘍を増加させる

論文標題 Irradiation of Juvenile, but not Adult, Mammary Gland Increases Stem Cell Self-Renewal and Estrogen Receptor Negative Tumors
著者 Tang J, Fernandez-Garcia I, Vijayakumar S, Martinez-Ruis H, Illa-Bochaca I, Nguyen DH, Mao JH, Costes SV, Barcellos-Hoff MH
雑誌名・巻・
 ページ・発行年
Stem Cells. 32, 649-661, 2014
キーワード 放射線誘発乳がん , 年齢依存性 , 乳腺幹細胞 , 自己複製 , エストロジェン受容体

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 原爆被爆者の疫学調査により、乳腺は発がんリスクの高い臓器の一つであるとされている。放射線誘発乳がんにおける年齢依存性の有無に関しては動物モデル(ラット)を用いて体系的に行われた研究が近年、報告された(Imaoka et al., Int J Radiat Oncol Biol Phys., 85, 1134-40, 2013)が、それは幼若期~思春期被ばくでリスクが高いというものであった(前述の疫学調査における乳がんの年齢依存性の有無に関しては中村らの総説[放射線生物研究、48、388-400、2013]を参照されたい)。しかしながら、年齢依存性の分子機構は未だ不明な点が多く残されている。
 幼少期に治療放射線を受けた女性の乳がんには悪性度の高い、エストロジェン受容体、プロジェステロン受容体、そしてHER-2陰性のトリプルネガティブ乳がんが有意に多い。このトリプルネガティブ乳がんは形質転換した幹細胞やその前駆細胞が起源となっていると考えられている。それは幹細胞の悪性形質転換がより未分化で悪性度の高い腫瘍を引き起こすという「cell-of-origin」仮説に基づいている。
 本論文の著者らはこれまでに、幼若期に100 mGy以上被ばくしたマウスにおいて、乳腺の遺伝子発現プロファイルにおける乳腺幹細胞の形跡が顕在化すること、そのマウスから得られた乳腺上皮細胞の乳腺再構築能の増加や幹細胞マーカーにより識別される細胞集団の増加を見出している。また、あらかじめ乳腺上皮細胞を除去したレシピエントマウスを放射線照射し、その後、p53欠損マウス由来の乳腺上皮細胞を移植してできた乳がんでは非照射のマウスに移植してできた乳がんよりもエストロジェン受容体陰性のがんができやすくなっていた(Nguyen et al., Cancer Cell., 19, 640-651, 2011)。
本研究では乳腺幹細胞に着目し、放射線被ばくした乳腺幹細胞頻度の変化における想定されるメカニズムを計算モデルを用い評価し、それをマウスや培養細胞を用いて実証した。
 放射線被ばく後、4週までの乳腺における遺伝子発現プロファイルにて、Notchや乳腺幹細胞に関連する形跡が見つかった。これは被ばく後12週後では見られなかったことから、放射線被ばくした乳腺には一過性の幹細胞の形跡が残されていることが示唆された。
 次に放射線が幹細胞を増加させる機構として想定される細胞の不活性化、自己複製や上皮間葉転換(epithelial to mesenchymal transition, EMT)を介した脱分化の関与を評価するためにmammary lineage agent-based model(ABM)を考案した。このモデルは乳腺幹細胞、前駆細胞ならびに分化した細胞をシミュレートする相互因子から乳管が成り立つと規定している。詳細は本論文を参照いただきたい。これらの条件をもとに、前述の幼若期での被ばくにより成体期の乳腺における乳腺幹細胞頻度が増加する現象を本計算モデルで解析した。細胞老化や放射線誘導細胞死ではなく自己複製ならびに脱分化を仮定すると乳腺幹細胞頻度が増加した。同様の事を成体期(12週齢)での被ばくを仮定し、計算させると、脱分化のみが乳腺幹細胞頻度の増加に寄与していると示唆された。しかしながら前述の幼若期被ばくでの幹細胞頻度を検討した実験を成体期での被ばくで行うとその頻度は増加しなかった事から、少なくとも成体期の被ばくでは乳腺幹細胞頻度の増加自体が見られず、計算モデルで示唆された脱分化は可能性が低いと示唆された。
 そのため、脱分化ではなく自己複製が重要であるという予測を実証するために、MCF10Aヒト乳腺上皮細胞株を用いた。MCF10A細胞はCK18またはCK14発現細胞、そして幹細胞マーカーを発現する一部の集団の細胞を含むとされている。そこでMCF10A細胞を用いて、上皮の分化系列決定(lineage commitment)に与える放射線の影響を検討した。著者らはMCF10Aが放射線とtransforming growth factor beta (TGFβ)に応答してEMTを引き起こすこと、そしてその際、CK14とCK18を共発現する幹細胞様の細胞を含んでいることを見出している。TGFβ処理でCK14/18共陽性細胞の増加とCK18陽性細胞の減少が見られ、TGFβ存在下で放射線被ばくすると約1/3の細胞がCK14/18共陽性となる。この現象における線量効果関係はスイッチライクな関係であり、30 mGy以上の粒子線ならびにガンマ線で本現象が観察され、その程度は線量が増えても変わらなかった。これらの事からEMTとCK14/18共陽性細胞との間には脱分化機構が介在することが示唆された。この実験の経時変化を観察することでは脱分化機構と自己複製の寄与割合を明らかすることはできなかった。そこでCK14/18共陽性細胞である両能性(bipotent)細胞因子、それが対称性の自己複製または非対称性の基底または内腔細胞因子へと分化系列決定すること、そして脱分化も引き起こされるというABMシミュレーションを実施した。これに加え、コンフルエント状態でのin vitro EMT実験ならびにTGFβヘテロ接合マウスを用いたin vivo実験の結果から、放射線は脱分化ではなく自己複製を活性化し、それはTGFβと活発な細胞増殖が必要であることを示唆している。
 幹細胞がLet-7 miRNAを下方調節することを利用して、Ds-Red発現をLet-7cが抑制するレポーターシステムが構築されているので、それを安定的に発現したMCF10A細胞の観察を行った。単層培養ではDs-Red陽性細胞はほとんど観察されず、非接着条件で培養したmammosphereは1個もしくは2個のDs-Red陽性細胞を含んでいた。ソーティングしたDs-Red陽性細胞集団からのみDs-Red陽性ならびに陰性細胞が増殖した。放射線被ばく単独ではDs-Red陽性細胞の頻度に変化は見られなかったが、TGFβでそれは有意に増加し、放射線によりさらに増加した。ここで幹細胞に重要なNotchの阻害剤であるガンマセクレターゼ阻害剤を処理すると、TGFβによるDs-Red陽性細胞の頻度の増加を阻害したが、mammosphereにおけるDs-Red陽性細胞には影響を及ぼさなかった。これらのことから、放射線により誘導されたTGFβとNotchが自己複製を刺激することがわかる。
 最後に、幼若期に放射線被ばくしたマウスで増加する幹細胞はホルモン受容体陰性腫瘍と関連があることから、乳腺形態形成が終わった後に放射線被ばくしてもホルモン受容体陰性腫瘍は増えないことが予想される。結果としてそれは仮説通り幼若期での被ばくでのみエストロジェン受容体陰性腫瘍が増加した。
 これらの研究は幼若期における放射線被ばくは幹細胞のself-renewalを一過性に増加させ、ER陰性の乳がんへのなりやすさを増加させることを示唆している。ここで示される結果は今のところ本著者らのグループでのみ示されており、普遍性のある現象かどうかわからないが、年齢依存性の放射線被ばくによる乳がん発生メカニズムを幹細胞頻度から示した非常に興味深い研究となっている。本研究で用いられた実験系における、系統差(本研究では乳がん感受性の高いBALB/cマウスが用いられている)ならびに線量率効果や放射線長期被ばくの影響を検討することは非常に意義深いことと思われる。